この世界は未だ単位の付けられていない、未単位エネルギーに満ちている、と個人的に感じています。当サイトでは、この未単位エネルギーを前提にアーティクルを作成しています。このため此処に未単位エネルギーについて記述しておきます。
なお個人的な推奨事項として、未単位エネルギーを養うには人狼TLPTの観劇がまっこと有効にございます。理屈など要らないから。自問しながら見続けるだけで大きく成長できるでしょう。個人的見解です。
物理現象のエネルギーは熱量に換算可能
物理現象におけるエネルギーには多様な単位が存在します。いずれの単位もジュール単位に換算可能です。ジュールは熱量の単位として知られています。つまり物理現象におけるエネルギーとは熱量に変換可能な存在なのです。
1ジュールは、1ニュートンのチカラがその力の方向に物体を1メートル動かすときの仕事。1ニュートンは、1キログラムの質量となる物体に1メートル毎秒毎秒の加速度を生じさせるチカラ。つまり1ジュールは1キログラムの物体を1メートル動かすエネルギーと解釈できます。
例えば、カロリーに変換すると1ジュールは約0.24カロリーになります。1カロリーの目安は1グラムの常温水を1°C増やす熱量のエネルギーです。
こういう単位変換から、とあるお菓子を食べると、とある体重の人間が何キロメートル走るエネルギーを得られるか、などの判り易い事例が出てくるのでしょう。素晴らしい発想です。もちろん、計算式が適合しており科学的に正しいのです。しかしながら、食べたカロリー値と運動可能な測定値、その関係性を体感し伝えられる人は居ないだろうと想像してしまいます。
未だ単位のないエネルギー
「今日はエネルギーが足りない」などと、日常的に生命エネルギー的な表現は、自然に使われている感覚です。精力、心身の活動力などのイメージで、広く受け入れられている比喩的な表現なのかも知れません。
エネルギーを熱量だけだと考えるのなら、「疲れた。エネルギーが足りない。」と感じた時には、栄養価の高いカロリー豊富な食物を採取すれば解決するのでしょう。しかしヒトにより、食事だけでは解決しないイメージがあります。演劇や芸術鑑賞などで回復する人達もおられるのではないでしょうか。人それぞれの話をしています。
こういう熱量換算できないエネルギー補充について、別の用語で表記すると途端に、信憑性が損なわれてしまう感覚もございます。
例えば洋風ではフォース、パワーなど。和風ではチャクラ、エネルギー波など。漫画、映画、アニメなどのお陰で、あえて説明の必要はないでしょう。これら類を当サイトでは未単位エネルギーと呼称している次第です。
念のため力学の専用用語として、フォースとパワーの異なり。
フォースは物理的なチカラのこと。チカラの単位kgfは質量1kgの物体が重力で加速された時に生じるチカラのこと。fはforceの略。1kgfは9.8ニュートン。重力加速度が9.8m/sec2だから。
パワーは発揮可能なチカラのこと。仕事率。単位としては、ワット、馬力など。1ワットは1秒あたり1ジュールの仕事率。馬力は、ロボットの発揮できる能力を100万馬力と表現していた背景などの例。
力学の用語定義を知った上で、別の領域に適用しています。
例えば、e=mc 2 の公式から、質量とは光を閉じ込めた状態だ、という解説を聞いたことがあります。いっぽうサイキックの物質化現象とは、頭の中で想像して視覚化したイメージ象から光を取り除くことで物質化している、との解説も聞いたことがあります。どうやら、光を閉じ込めた状態と光を取り除いた状態が、同じ物質の状態だということ。取り除くことで閉じ込める?つまりは、解説する人により言葉の使い方が異なるので、聞いている方は混乱して判らなくなるのだろう、との解釈。フォースやパワーなどの類も同様な印象です。
そして例えば、宇宙を表す方程式やシュレディンガー方程式などは、複素数で表記されていますね。この虚数部分について発生する未単位のエネルギーがあるようなイメージです。
測定されないので熱量ではありません。半導体技術などで効果だけは活用されているので架空話とも言えないでしょう。科学的な実験で観測はされて、いちぶ実用化もされているけれども、仕組みは誰にも判らずに、仮説ばかりが増えている領域の話です(スピ系あるある、量子物理学で証明された系の話は、実験で観測されてその仕組みに複数の仮説がある、程度に読み取っていますよ)。
当サイトのテーマの1つ、科学的な検証は別にして(個人的に興味なし)、現象面から日常に活かす未単位エネルギーについて学び利活用を目指しています。
※参考文献「保江邦夫,神の物理学,海鳴社,2017」の延長線にある世界。内容と本文は無関係です。おススメ。
イニシエから伝わる未単位エネルギー
イニシエから使われる用語にするなら、西洋的には魔力、東洋的には気功となる感覚です。
魔力について、イマドキはKindleにてイスラエル・リガルディの書籍が安価に読めてしまいます。古書を探し回ることがない。なんと楽チンな世界なのだろう。
気功について、たくさんの書籍がある中、イマドキはすぐに検証できてしまう武学について安価に読めてしまいます。参考文献「レノンリー,お辞儀のチカラ,みらいパブリッシング,2020」、この体験は驚異的です。手順通りに整えるだけで、武道の達人のような現象が誰にでも体験できてしまうから。
気功の先生や書籍を選ぶ際の留意事項、個人的な勘所について書いておきます。例えば「氣」という漢字に拘り過ぎている場合に違和感を感じます。米で発散し、〆で収束という意味でしかない認識。いずれ両方を使います。戦後に日本で禁止された漢字にまつわる陰謀論なども、日常に活かす上では必要ないでしょう。こういう煩わしいコダワリに触れた時に要注意。要は、1つのシステム・系に閉じ込められている可能性の高いグループです。
他には例えば、西洋的な暗示や催眠術の類を、東洋では気功と云う旨の解説を聞いたこともあります。気功を催眠術として教えるグローバル・ティーチャーには師事したくない、という個人的な所感。単なる包含関係にしても粒度が異なり過ぎるから。
さらに古来から伝わる書物について。般若心経には、身体において未単位エネルギーを始動させる訓練法が書かれている解釈です。易経には、未単位エネルギーの種類と性質が書かれています。孫子兵法には組織行動で生じる未単位エネルギーの操作方法が書かれています。すべて個人的な解釈にございます。当サイトのアーティクルに少しづつ記述していきます。
古来占いとは未単位エネルギーの操作
本来の占いとは未単位エネルギーを操作する術だった解釈をしています。個人的な解釈です。
いわゆる「占い」には興味がございません。いっぽうで、占いに分類される書籍を(一般人としては)良く読んでいる方だと自覚しています。
その結果、古来占いというのは未単位エネルギーを操作する法術だった解釈をするに至っているのです。未単位エネルギーには大きく3つの領域があります。ワールドとセルフとリレーション。これが占いの3分類と対応していることに気づき、個人的に納得に至っている次第です。
# | 項目 | 説明 |
1 | 命術 | ・生年月日 ・四柱推命、西洋占星術、など ・セルフの未単位エネルギー |
2 | 卜術 | ・偶発性 ・タロット、陰陽五行易、周易、など ・ワールドの未単位エネルギー |
3 | 相術 | ・様相を活用 ・手相、人相、観相類など ・リレーションの未単位エネルギー |
命術の類は、生年月日の情報を使います。方法によっては生まれた時間と生まれた場所・経度と緯度も必要です。基本は天文情報との照合。生れた時間と場所、最初に呼吸をした時に、太陽系内の惑星がどの位置にあったか。どういう素粒子、ニュートリノがその場所に降り注いでいたかを観る方法です。生れて初めての呼吸で吸い込むニュートリノが身体に影響を与えている考え方。これでセルフの未単位エネルギーが決まります。
※地球上の場における未単位エネルギーを出して、相性を観ることも可能。気学に通じます。
卜術の類は、偶発性を使います。これはワールドの未単位エネルギーにより、偶然が決められている考え方です。
例えばタロットカードの何を引くかは偶然です(人狼ゲームでカードを引くのも偶然)。その偶然も、いつ・どこで引くかで結果が異なります。誰が引くかでも異なります。
だから、占い師はセルフを消すワザを身につけるよう指導されます。
※なんどもシャッフルすると、確率の収束が起こるイメージ。
相術の類は、視覚情報です。視覚情報にワールドとセルフの未単位エネルギーのリレーションが投射されて見えてくる考え方です。
例えば、コールドリーディングは「インチキな占い」として説明されることがあります。しかし、コールドリーディングも初歩的な相術です。オーラを観ているか、仕草や言動を観ているかの違いだけで、相術であることに変わりはありません。また逆に、コールドリーディングの心算で未単位エネルギーを読み取っている達人も居られるかも知れません。例えばご自身の視覚情報、他の人達と同じか否か、どうやって判断しています?右目と左目においても異なっていませんか?
重ねて念のため、すべて個人的な見解です。もちろん科学的な根拠はございません。さらに、どの占いのグループにも所属しておりません。間違っている旨のご指摘には、内言「あなたの系内では」外言「その通りです」と回答するだけにございます。
誰もが未来を予知している現実へ活用する
「未来予知は不可能」という常識があります。少なくとも常識と教わる多くの人々がおられます。
では、なぜ、未来を不安に思う人々が多く居るのでしょう?その人々は未来を予知しているから不安に思うのではないのでしょうか。未来を予め知らなければ、不安になどならない道理です。
また、なぜ、未来を変える発想があるのでしょう?変えるには、その基となる姿が必要です。何もない状態を変えることは出来ません。その人々もまた、未来の姿を予知しているから変えたい思いがあるのではないのでしょうか。
ひごろ周りを観察していると、未来を予知している人々が殆どです。不安に煽られ、変化に疎まれ、自らの未来予知から逃れられない様子に見受けられます。
何もないところからゼロからイチを作り出すのは創造です。誰もが未来を予知してしまう現実に生きているのなら、各位が自ら望む未来を創造した上で、それを予知する未来に置いておく、その方が喜びに近づけるのではないでしょうか。
個人的な見解にて、それぞれご自身の有する未単位エネルギーで予知している解釈です。未来ではなく、イマココにある未単位エネルギーを操作することで、ご自身の望む未来創造に近づいていく現実はいかがでしょう。
この現実をアクチュアリティと呼びます。ありのままの現実がリアリティ。アクションして巡り合う現実がアクチュアリティ。
まとめ
当サイトでは未単位エネルギーという用語を使っています。熱量に変換できないエネルギー、未だ単位のないエネルギーを表現する趣旨です(使い始めにあたってググっても出てこない用語でしたよ)。
一般に「生命エネルギー」と比喩される対象に似ているかも知れません。
昔から伝わる未単位エネルギーとして、西洋的な魔力や、東洋的な気功を調べています。古来から伝わる占い類は、未単位エネルギーを操作する術だと解釈するに至っています。
積極的に未単位エネルギーを操作することにより、望む未来へ舵取りする活用法を思索しています。
未単位エネルギーを養う、もっとも単純で効果的な方法は、即興劇となる人狼TLPTを視聴することだと特におススメしています。
古くから伝わる般若心経や易経、孫子兵法なども、未単位エネルギーについて記述されていると解釈しています。ありがとうございます。
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